開催レポート+α:孤独と怒り ~親密さへの期待をどう扱うか?

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「孤独と怒り(諦め)」を開催しました。このテーマは、以前の会で、参加者のよしさんが「哲学対話に参加した際、一方的に発言する人がいて、その人はとても怒っていて、その様子がとても孤独だと感じた」とお話しいただいたことから設けられました。

「孤独」と「怒り」で共通する背景に「わかってもらえない」があると考えられます。そこで、「わかってもらえない」が「孤独」「怒り」につながるのはどんな時(状況)なのか、 また逆に「連帯」「諦め」に向かうのはどんな時か、ということから対話を始めました。

「わかってもらえない」が「怒り」につながるのは、「わかってもらえるはずという期待」があるのに「期待外れ」だった時なのではないか、という話から始まりました。そして、エンパブの渡邊から、最近若い世代の支持が多そうなコンテンツを整理してみると、「自分らしさ」を扱っているものが多い。自分らしい、オンリーワンの価値を求めているのに、「自分らしくいたいのにいれない自分、社会から抑圧されている自分」への共感があるのではないか、と紹介。そこから話も展開していきました。

30年前なら「社会から抑圧されている」と感じると、例えば校内暴力のようにその反発を外部に出していたのが、現代では「与えられた枠に適応しておくが、心の中で、わかってない、と思う」もしくは「この世界はもう無理だから転生に期待」みたいになっているのではないか。感情は自分の中に隠し、わざわざぶつからない。

ぶつかっていたのは、相手への期待・信頼があり、自分を周りに認めてほしいという気持ちが強かった(=親密性への期待)が、「機能の共有のみと割り切る関係性」の範囲が広がっているのではないか。親密性への期待が「正しさを分かち合いたい」を起こすが、「自分の正しさは自分だけがわかっている」と孤立を選ぶ傾向が強まっているのではないか。

このように、「親密性への期待」というキーワードが浮かび上がってきました。

当日の対話のJamboardは下記のものです。また、アーカイブ動画をフォーラムにアップしています(スタジオ・メンバーのみ)。

この「親密性への期待」を、次回の「孤独と家族(職場・学校)」の対話のスタートにできればと考えています。家族(職場や学校)に何を期待しているのか、何が期待外れになっていて、そこから自分をどう守るのか。そこから、家族の機能が弱まっていると指摘されることもある現代社会における「孤独」を考えていきたいと思います。


Studio メンバーのNKさんから参加した感想のメッセージをいただきました。
ありがとうございます!メンバーのみなさん、ページのフォーラムの5月の会のスレッドにも、ご感想をご記入ください。

“上手に閉ざす”ということについて
昨晩は充実した時間でした。他の人と一緒に暮らす(長い時間を同じ空間で過ごす)こと(が大変だろうな、と思った次第。ずっと装った自分いるためのエネルギーを充電するのはどこ?家がその場所でないとしたら辛い。家庭(複数人の暮らし)でも装っていなければならないならば、もはや自分が何者なのかわからなくなる。安らげる居場所が欲しくなる?それでサードスペース、パラレルワールドになるのかな。「今」の孤独や辛さや絶望間は軽減するだろうし、とりあえずやり過ごせるけど根本は変わらない。マズローの「安全」の話に戻るなあ。(愛着につながるところ)家庭が安全な場所でないなら、家庭でも装っていなければならないなら家族を作るのは「ごしたい(難儀な、感情的に大変な)ことです.ましてや子供を持とうとは思わないだろうな。持ったら依存状態になるのだろうか。(エンドレスです。)
“後で孤独感が募る居場所”というのも重い言葉でした。確かに!経験あり!心地よい疲労ではなくやりきれない孤独。求めて参加すると余計に反動が大きいのかも。
ゴミ出しや家事は家庭でやるのがあたりまえとおもっていたけど「もはや家庭がないのですね。」といった公民館長さんがいましたが、家事などの作業だけでなくて精神部門の家庭(の機能)が無くなっているのでしょうか。

 

NKさんへ スタッフ渡邉より

これまでは、人間が集団的に生きていく最小単位の機能&自分がありのままでいられる精神的にも安全な場所として「家庭」が位置付けられていたところから、その前提がだんだん薄くなってきたことで、人間の根本を支える安心感を得られる場所がない(安らげる場所がない、本当の自分が何者なのかわからない…)といううっすらとした不安感、虚無感になってるのかもしれませんね。
(Nさんの「やりきれない孤独」という表現が、個人的にすごく納得しました) サードプレイスへの期待感も、単なる人と人が触れ合うつながりというよりも、もっと根本的で人間としての精神的なつながり、安心感(愛着)を求める気持ちになっているような感覚なのでしょうか。
そういう意味では、若者(私の1視点ですが…)にも、「他者に縛られないオンリーワンな自分であれ」という思想が強くなった反面、矛盾するものとして、本当は深くて強固な母性的なつながりを心の底では求めているみたいな感情を表現するコンテンツが流行っている傾向もあるなあ〜と思ったりしました。
この表向きの感情・思想(男らしくありたい・女らしくありたい・自分らしくありたい)と、裏に隠れてる感情(絶対に受け止めてほしい、離れないでほしい、そのままの私を愛してほしい)ってなかなか自分の中で、老若男女問わず明確に自覚して言語化することってすごく難しいところもあるので、風潮としてもサードプレイスに対する漠然とした期待感があったり、利用者的にも行ったのに何か裏切られたと感じたり、いればいるほど孤独感を感じる(後で孤独感が募る居場所)という場所になってしまう場合も多いんだろうなと思いました。
 
そう考えると、次回のテーマでもある「孤独と家族(職場)」はすごく今話すべきテーマですね(笑)
私たちが家族や職場に期待しているもの、期待してないものから、改めて私たちが求めているサードプレイスの役割は?と考えると、何か新しいものが見えてくる気がします。



「孤独」ということに関心のある人だけではなく、もっといろんな立場・考えの人とも共有できると面白いなと思っています。こんなこと考えたい、これってどうなの?という思いのある方Studioラジオにも、ぜひお便りください!

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