開催レポート:孤独と家族 ~家族と他人の間にいる人が大切なのでは?

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対話「孤独と家族」を開催しました。今回、「孤独と家族」について話すことになったのは、今、居場所がこれほど必要とされているのはなぜか、という話し合いの中で、「家族が安心できる場ではなくなっているのではないか」という意見が出たからです。ただ、「家族とうまくいかない」というのは以前から多くの人が経験してきたのに、近年、なぜ家族の問題がクローズアップされているのでしょうか。

その話で出されてきたのが、核家族化や地域コミュニティの弱まりから、夫婦や家族が喧嘩した時に、間に入ってくれる人がいなくなっているのではないか、ということです。もともと家族は最もプライベートな場であり、第3者の目が入りにくい場です。なので、そこでは対外的な社交性よりも、本音や本能的なふるまいになりやすいのではないか。そこでは、「愛してほしい」「思うように動かしたい」、衝動(暴力なども含めた)なども表に出てしまいやすい。「家族なんだから、わかってほしい」と気持ちにもなる。しかし、家族と言えども、世代も違えば、経験や価値観も違うため、当然、わかりあえない場合もあります。

ただ、以前は大家族で、親とはうまくいかないが“おばあちゃん子”として育つという経験や、多数いる親戚やご近所の中に自分を受け容れてくれる人がいたり、経過も分かち合えているので安心して家族の愚痴を話せたり、間を取り持ったりしてくれる人もいました。そのような親子の間、家族と他者の間に存在する人がいることで、家族においても多様な関わりやコミュニケーションがあったのではないでしょうか。それが、核家族化が進み、親戚も減り、プライバシーも強化される中で、家族は家族だけでの閉じたコミュニケーションとなってしまいがちに陥っている部分が広がっているのではないでしょうか。

限られた相手に「わかってほしい」という気持ちが強い場合、うまくいかないと「わかってもらえない」という反動も強くなりがちです。前回、「孤独と怒り」で考えたように、市民密さへの期待が怒りに向かう場合もあれば、現代社会では「無理」と捉え、家族間でも表面的な関係を維持しながらも、自分が受け容れられている実感を持てていないままになっている人が増えているのかもしれません。自分が受け容れられている実感を持てない人は、孤独や孤立に陥りやすいようにも思われます。

ゲスト参加された若者と高齢者が支え合って暮らすアパート「ノビシロハウス」に取り組んでいる渡部寛史さん(ノビシロクリニック院長)は、「ノビシロハウスは共同生活ではなく、若者、高齢者、障がいを持つ人はそれぞれ自分の部屋で暮らしているが、毎日の色々な場面でそれぞれがコミュニケーションを取っている。それがお互いに負担にならない間合いになっているのかも」とおっしゃっていたのも印象的でした。

「自立とは人に頼らないことではなく、多くの頼り先を持つことだ」と言われるように、人は様々な関係を持ち、状況に応じて話せる相手、頼れる相手がたくさんいることによって、誰かに期待しすぎることなく、自立した暮らしができる。それが結果的にウェルビーイングにつながり、望まない孤独に陥らずに過ごせるのかもしれません。

「一緒にいる人がいるから孤独でなくなる」のではなく、「適度な距離を保った多様な人とのつながり」が孤独・孤立を防ぐには大切なように思います。

次回は、この2回の対話も踏まえて、改めて「孤独と居場所」について考えます。なぜ、現代社会で居場所がこれほど求められているのか、一緒に考えましょう。



「孤独」ということに関心のある人だけではなく、もっといろんな立場・考えの人とも共有できると面白いなと思っています。こんなこと考えたい、これってどうなの?という思いのある方Studioラジオにも、ぜひお便りください!

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